1. 葬儀、供養、墓地 お墓の秋月院  トップページ
  2. 死後の世界

死後の世界

私たちは何のために亡き方の供養をするかと申しますと、亡き方に感謝の思いを伝えることはもちろんですが、ゆくゆく私たちや子孫の幸せに返ってもくるのです。
皆さん自分の為に惜しみなく精一杯のことをしてくれる人には、感謝し、幸せになってほしいと願いませんか、そして自分のできることは精一杯してあげたいと思います。 ご先祖様も同じです。
亡くなることをあの世のご先祖様はわかっていますので、迎えに来られます。ご自宅や、お葬式の時にたくさんの懐かしいご先祖様がたが来られているのです。 ご先祖様が行っていた伝統的な葬儀等供養をすることは亡き方のみならず、そのご両親をはじめとしたご先祖様の供養になるのです。 ご先祖様は自分の大切な子どもの供養を子孫が惜しみなくしてくれたら嬉しいのです。

人は亡くなって終わりではありません死後の世界は存在しております。これはアメリカの元マイアミ大学医学部教授でワイス博士という方の研究発表で明らかになっております。 仏教の教えと合致しています。例えば輪廻転生という生まれ変わり、また亡くなることを迎えが来るということ等たくさんあります。
死=意識が無くなると思っている方も多いと思いますが、そうではなく死とは肉体の死であって意識の死ではありません。 つまりお医者様にご臨終ですと言われても意識ははっきりあります。死とは肉体と、意識が離れた状態なのです。 昔の方はその意識のことを魂、霊、幽霊と表現したのです。

その意識は行きたいところへ自由に行くことができます。虫の知らせということを昔からいいますが、亡き方が自分の死を知らせたいがために、お位牌を倒したりするのです。
自分のことを大切に思い、思い出してくれた方の元にも瞬時にそれをキャッチし瞬時に移動できます。私の家内が、数年前入院した時、家に帰りたいと思ったそうです。 その時数か月前に亡くなった方の事を思い出し、「あの方もきっと家に帰りたかっただろうな」と思った時、その方が現れ「奥さんここで少し体をやすめていきなよ」 と言葉をもらったそうです。
その意識は私たちが心で思っていることもすべて理解しています。皆さんの中でありがとうと言う思いをお持ちの方には亡き方はきっとニコニコとうなずいていることでしょう。

お子さんを亡くされた方の供養で、たくさんのポテトチップス、チョコレート等のお菓子を台にのりきれないほどお供えし法要をした時、亡きお子さんが 「生きている時は買い物行っても一個だけといわれたのに今日はたくさんのお菓子があってパーティをみたい」と喜んでいました。
後日そんな話をお母さんにしましたら、「実はお墓のお地蔵様のほっぺが大きく膨らんでいたのです。そして口の周りに食べかすが付いていたのです。」と言われました。
皆さんはそんな馬鹿な見間違いだと思うでしょうがそうではありません。そこには「お母さんありがとうという」お子さんからのメッセージがあるのです。 現実のお地蔵さんのほっぺは変わっていませんが、言うならばあの世からのプロジェクションマッピングなのです。

10年近く前のことですが、私のお寺のお檀家さんで高校生の自転車にはねられ亡くなられた方がいます。加害者のお母さんがいつもお墓お参りに来られるのです。 その高校生のお母さんは申し訳ないことをしました。泣きながら、亡くなられた方を思わない日はないと言っておりました。 その当時ご主人がリストラにあい生活が困窮している時でした自身も病気になってその時に死ねればと願ったりもしたそうです。 お寺に来るときはお供えにと必ず色々なものをスーパーで買い物をして来られていました。10円でも切りつめたいときだったと思います。
そんなある日、事故で無くなられた方から、「あれは事故だったんだから誰のせいでもないよ、いつもお参りに来てくれてありがとう。もう自分の人生を生きてね。」と 第三者を通してメッセージをもらい私とお互いに涙しておりました。
それから間もなくして、仕事が見つかり、自分にとてもあっている仕事で、同僚にも恵まれて、とニコニコと元気になってきました。 収入も増えて今のところに住むことが出来なくなり引っ越しましたと話されました。
私は亡き方がその良い縁を結びつけてくれたと思っています。
血のつながりがなくても心が通じたときには必ず良い方向へ導いて下さるのです。
だからこそ自分自身ができる精一杯の供養を惜しんではなりません。
いずれ私たちもこの世を旅立っていきます。その時には先に行った会いたい人が、あの世から(実は生まれる前にいた世界なのです。)迎えに来てくれます。 また会える日が来ます。ちなみに会いたくない人には遭わないそうです。これも研究でわかっています。
ここで大切なのは、あの世が本当にあるかないかにとらわれてはなりません。今の科学では証明できません。 大切なのはそれが自分にとって有意義な情報だと思った方は道具としてその考えを人生に生かしていけばより良い人生を歩んでいけます。
私はまた会えると思ったらこんなに楽しみなことはありません。
この世は不公平なことがたくさんあります。大した苦労のない方、何をしてもうまくいかない方、たくさんのお金や物を持ている方等あげればきりがありません。
しかしお金持ちになった方をうらやましく思う必要はありません。お金持ちになった方は、そのお金を使って世の為にしなくてはならないテーマこの人生にあるから、 お金を得る縁があっただけなのです。
地位や名誉を得た方はそれらを使って、私利私欲を抑え民の為にしなくてはいけないことがこの人生のテーマだからその地位に上り詰めることが出来ただけなのです。 大切なのはそれらを正しく使える人生にすることができるかなのです。
あの世を考えることによってそういうこともわかってきました。
つまり人生は思い通りにいかない、時には辛いことが多々ありますが、そこには意味があるのです。
そしてあの世を信じていてリスクはありません。

他を思いやり人に施すことができた正しい人生を歩んだ時にあの世があれば、「正しく生きて良かった」と思いますし、もし仮にあの世がなかったにしても「損した」 とは思いません。しかし間違いなく生きている人々には「惜しい人をなくした」とみんなに愛され思われるのです。
さてその逆の他に思いやりのない、人に施すことが出来ない人生を歩んだらどうですか、あの世があり地獄が有ったらショックでしょう。
そして生きている人たちの本音もわかってしまいますから、二重のショックでしょう。

皆さんに臨終の時に胸を張ってご先祖様に会える人生を歩んでいただきたいと願っています。

私たちが未練を持ってしまうと、亡くなられた方も未練を持ちこの世にとどまってしまいます。亡き方が不安に思ってしまうような生き方をしていると、心配で この世にとどまってしまいます。亡き方が安心できるような正しい人生を歩み、感謝の思いで送り出してあげることが大切です。 そうすることによって迎えにきたかたにしたがってあの世に行くことが出来ます。それが亡くなった方にとっても残された方にとっても幸せになれる道です。 未練を持ってしまうと迎えに来た方が誰かもわからず拒絶をしこの世で幽霊になってしまい何十年、何百年と生きている時以上の苦しみでさまようことになってしまいます。 その証拠に心霊の番組で幸せそうな幽霊がいるとは聞かないと思います。たいがいは侍のかっこう、兵隊のかっこう、苦しそうな顔、血だらけ等だと思います。 亡くなられた方が望んでいることは愛していた皆さんがニコニコと幸せに、正しく生きて行ってくれること願っているはずです。

マスコミでエンディングノートが取り上げられることが、増えましたが、私はお勧めしません。その内容によって遺族が悩み苦しむ姿を見てきました。 例えば海にお骨をまいてほしい。お葬式をしなくていい。家族だけで誰にも知らせないでほしい。戒名はいらない。自分の意思を死後まで通すことは家族の為になりません。 残された家族にも付き合い、思いもあるのです。

ご先祖様が守ってきたことを守っていく事に意味があり、自分のしたいようにしたら供養ではなくなっていきます。自分が大事にしてきたことを否定されたら悲しいです。
私たちの先祖は仏式の供養を親の為にしてきました。それを守っていく事が供養なのです。 ある学校の先生で霊能力のある方から聞いた話ですが、戒名をつけない俗名の葬儀に参列した時、亡くなられた方の祖父が、亡くなられた方の父に怒っていたそうです。 もちろんこの祖父、父は当然すでに他界されたご先祖様です。ご先祖様が怒ってしまっては供養ではありません。

私が勧めるのは、気に入った写真があればそれを家族に分るようにしておくこと、絶対に連絡してほしい人の連絡先を家族にわかるようにしておくこと、 くれぐれも知らせたくない人を書いてはなりません。 知らせないことで、家族が責められる可能性があります。来たくない人は来ませんから。
家族には「無理しなくてもいいから、出来る範囲でやってくれ」と言い、残すものを残すことです。

よく子供に負担を掛けたくないということを聞きますが、その考えは間違っています。人生は世代間の助け合いによって成り立つのです。その関係を絶ってはなりません。 親は子供を産み育て、子は年老いた親の世話を恩返しとして行う。こういう関係はとても大切です。
子供に負担を掛けないではなく、子供が負担と思わず感謝の思いで親の為にしてあげたいと思えるような生き方を親がすることです。
例えば、子供夫婦、孫の為に時間でも、お金でも惜しみなく施すことです。家内の両親は群馬から川崎まで子供たちを迎えに来てくれ何日も預かってくれ、 遊びにも連れて行ってくれます。誕生日等お祝い事にはこんなにと思うほどのお祝いを頂きます。家内の両親は質素な暮らしの中で、精一杯の事をしてくれていると思っています。
感謝のおもいでいっぱいです。両親に万が一のことがあった時それを負担とは思いません。精一杯の事をしてあげたいと思います。


  • fb
  • twitter

このページの先頭へ