葬儀の前に
最近生前に葬儀社を決め予約等をする方はで、葬儀の供養をしてくれるお寺(僧侶)も葬儀社任せの方が多いと思います。どんなお寺(僧侶、寺院所在地)に読経をしてもらうか気になりませんか?昔からの伝統的な供養は、知っている僧侶に読経してもらうのが当たり前でした。仏教の伝統的な葬儀を望む方は読経をお願いするお寺もあらかじめご自分で決めることをお勧めします。その為には、先祖代々の宗派を調べ自宅近くのお寺にまず電話で問い合わせてから、ご住職と一度お会いすることです。

突然の不幸で、読経してもらう僧侶を葬儀社や派遣会社等に手配をしてもらうことは、お寺との縁のきっかけとしてなら良いですが、それに甘んじて、いつも会社任せでお寺(僧侶)を手配してもらい葬儀や法要をしてもビジネスの渦に巻き込まれて供養からかけ離れしまいます。
例えば誕生祝をするのに普段は付き合いがなく、その誕生会に知らない人から「おめでとうございます」と言われて何の意味があるのでしょうか?それと同じで普段からのお寺とのつながりが供養なのです。菩提寺を持ちましょう。
葬儀、法事、水子供養、あの世等、相談ご興味がある方は気軽に秋月院にご連絡ください。

ご自分とご家族の幸せを願う方であれば、ご先祖様に感謝の気持ちで自分本位ではない正しい行動をしてください。(詳しくはブログの「供養とは」をご覧ください)親を大事にすれば自分が親になった時にも大事にされます。それと同じでご先祖様を大事にすれば、自分がご先祖様になった時にも大事にされます。ご先祖様を大事にしていれば子孫が幸せな人生を歩めるよう(試練はあっても)常に働きかけてくれます。まずはお花お線香を持って家族でお墓参りへどうぞ。(その時はお墓をきれいに掃除してください)
伝統を守るのも供養です。ご先祖様が(自分の親より前の方々)大事に思っていた伝統的な仏教行事、しきたり等を守り、ご先祖様に関係ある人々を大事に思うこと、それも供養です。自分が大切にしていた事を次の世代が引継いでくれたら、うれしいです。逆に「くだらない」と言われたら悲しいです。

私たちは亡くなって終わりではありません。亡くなるとは意識と体が離れた状態で、肉体としての体は動かなくなっても(意識としての自分は自由に行きたいところに行けます。生きているときより身軽で自由です)、意識ははっきりあります。(それを魂と言ったり、霊と言ったりします)ですから生きていた時よりも近くにて、また私たちの心の中を(考えていること、思っていること)全て見通すことが出来るようになります。したがって家族がどのような思いで葬儀をするか、全てわかっています。また参列される方の心で思っている感謝の思いも届きます。
葬儀に掛かる費用は決して安くありませんが、記念日等に差し上げるプレゼントと同じです。出来る中で精一杯のプレゼントを頂いた方はそれに対して「こんなにしてもらって有り難う」と感謝の気持ちになります。亡くなった方も生きている人と思うことは同じなのです。愛する家族のためにすることで安いほうが良いということはありません。
葬儀、法事はお世話になった故人のみならず、ご先祖様へ恩返しのチャンスです。 良くして頂いたら、良くしてあげたいと思うのが人の常です。亡くなられた方も同じです。葬儀や、供養を通して精一杯の心をこめてしてあげたことが、またいつかご家族の幸せな恵みとなってあなたに返ってきます。
例えば「お母さんには苦労をかけ、何もしてあげられなかったからせめて戒名はよい戒名(戒名によってあの世の行くところは決まりません。それを決めるのは自分が生きている時の行いです。)をつけてあげよう」と言うのと「会社関係の人がたくさん来るからよい戒名の方が体裁が良いからよい戒名にしよう」とでは供養の観点から見ますと全く違い、後者は私から見れば意味のないことです。何故ならそれは残された家族の為の戒名でしかありません。
私はお通夜で「あの世」の話を交えながら供養についてお話をさせて頂いております。
「あの世」には当然ながらお金でも名誉も持っていけません。持っていけるのは、良い事をしたか、悪い事をしたかという、この世の行いだけです。お金や名誉をお持ちの方はそれを道具として「この世」の全てのものに対し正しく(愛のある行動として)使うことが出来るかどうかが試されているのです。お金や物におぼれることなく、お互いに正しく生きていきたいものです。


